「終わらぬ夢」

私、ずっと、彼女見たいになりたい、って夢見てきたの。

私のお母さん見たいになりたい、って。

お母さんがどの様になっても、気持ちが完全に和らいで楽だった。
お母さんが亡くなって、お母さんとの生活が無くなって、不思議と
そうなったの。

お母さんは女神だった。

勿論、文字では表す事は出来ないけど。
でも、お母さんは比喩的な観念だった。
近代において、スポーツは私達の宗教になり、私達の宗教において、
私のお母さんは神聖なものだったの。

肉体と精神が神聖だったから、お母さんは、擁護者になる事で強さを
持っていた。
擁護者では無く、優勝者。
お母さんは類稀な女性アスリートだったし、これからも、ずっとその
様に記憶されるわ。

私、ずっとお母さんの娘として記憶されるのね。

神崎あかり。

御堂巴の娘。

私、御堂巴の娘として、これからずっと歩んで行くのね。
お母さんの名前は、私に直ぐついて来たし、私の名前もお母さんにすぐ
ついて来るのね。
時々、その事を悟ると苦痛になったけど、私、苦痛を払いのけたの。

私、お母さんの娘である事を誇りにすべきなのね。
類稀な女性アスリートの娘として。
優勝者の娘として。
御堂巴の娘として。

私、そうなるべきだし、そうなるのね。
でも、時々....

時々、その事から逃げたい、って思うの。
考えの全てから、親切にされる事全てから、お母さんの名前を消し去り
たいの。
クリスやターニャ見たいになりたかった、って思うの。
2人共、期待や重圧が無いんだもん。

2人共、期待は抱えているかも知れないし、重圧が有るかも知れない。
でも、2人共、その事を自分自身で自らに課している。
私のとは違うの。
私は他人に拠って、その事を押し付けられて来たの。
私が誰か、って事の為に。

私は御堂巴の娘。そして、誰もが、私にその事で期待してる。
誰もが、私に、お母さんが生きてる姿を期待してるの。
それなのに、そんな事は決して起きる事は無いわ。
私はお母さんじゃ無いし、決してお母さんになれない。

どうして、皆、その事を分かってくれないの?

クリスでさえ、そうなのよ。

クリスは、その事を分かっていなかったから、そうしたのね。
始めて出会った時、クリスは、お母さんの印象を話してくれた。
そして、私が誰かをクリスに話した時....私、クリスの目の中に光を
見たの。

忌々しい期待と言う光を。

私はクリスが大好き。そして、クリスも私が大好き。
その事は私も分かってるし、私、本当にそうしてる。
でも、時々....時々、私、自分自身が分からなくなるの。

どうして、クリスは私と一緒に居たいの?

「神崎あかり」だから、一緒に居たいの?
それとも、「御堂巴の娘」だから、一緒に居たいの?

それは、残酷な考えよね。
その事は私も分かってるし、そんな考えは捨て去るべきだ、と思うわ。
でも、その代わりに「その日」迄、私の心には、その考えが潜んでいた
のよ。

「その日」....お母さんの称号を得た「その日」。
全宇宙に知れ渡っている称号「宇宙撫子」。

私は称号を得たの。
そして、その事は私の夢が成し遂げられた、と言う事を意味していたの。
私は、お母さんの様になったの。
私は、御堂巴の様になったの。

そして、その事で、私は幸せになるべきなのね。
その事で、お母さんの死、と言う空虚を埋めるべきなのね。

そうすべきじゃ無かったの?

<終わり>